goodday20221010のブログ

読書日記、たまに暮しを綴ります

読了(牧野富太郎 花と恋して九十年)上山明博

★牧野富太郎 花と恋して九十年

 上山明博



113冊以上の参考文献で書かれています



「花と恋して」は1999年、高知新聞社から出ています



「九十年」をつけたして2023年1月に発行されました



年譜に沿って、植物と人生で起こった内容が平行して書かれています



牧野富太郎は、1862年4/24生まれ〜1957年 1/17没 享年94歳



土佐の佐川村に生まれ、「日本の植物学の父」と呼ばれ、誕生日は「植物学の日」に制定されてます



生家が裕福

親類猶17歳と富太郎19歳は祝言

猶は、富太郎に金銭を送付し、最後は、岸屋を閉じる



富太郎は、東京に出て、25歳で14歳の寿衛と暮します



糟糠の妻の寿衛は、借財をかかえ、貧乏生活を送ります



のちに渋谷の待合茶屋を経営し、練馬区東大泉に700坪に家屋を立て、将来展示館を建てれるようにします 



富太郎は、仙台で発見された新種笹を寿衛子笹(スエコザサ)と命名します




日本植物の新学名の父

日本植物約6千種の半分は欧米の学者が命名

富太郎が命名したのは新種1000種

新変種や改訂した学名は1500種




昭和天皇に植物学の御進講をおこなっています


富太郎の危篤状況で、天皇陛下より、アイスクリームが届けられました




東大の教授から嫉妬され、植物学教室から出入禁止にあり、ロシアに研究のため、逃亡を計画



逃亡は失敗、その後、借金に追われるも救済者(三菱本家の岩崎氏、池長氏)に助けてもらいます



以下、いろいろありすぎて箇条書きにします


蔵書は45000冊

引越18回

借財から開放され、放蕩したり

13人の子供授かり、6人が夭折1人死産してます

驚異的な生命力

採集が基本の生活

誰にも平等

東大内部の嫉妬で、辞職でも人気あり復職した

南方熊楠との往復書簡あり

筆まめで手紙沢山

植物図鑑も沢山




19才で植物学者をめざし、赭鞭一撻(しゃべんいったつ)を示します

若い頃(18歳~20歳)植物学を真剣に志すにあたり書き記した15の心構え・心得のことです



結網子(けつもうし)は牧野博士の号 本名とは別に、書や創作物などに使用する名前で雅号、芸号ともいいます



こんな人は、これからもなかなか現れないのではないかと思いました



お読み頂きありがとうございます

素敵な一日をお過ごしください(^^)