読了(好運の条件)五木寛之
★好運の条件
昭和7年生まれの五木寛之さんのエッセイ
人生の大半は、「努力」より「運」ではないかと年をとるにつれて考えるようになったそうです
さらに「要は自分の体と向き合うことだ これはまずいな、と感じたときは、さっさと撤退する」
撤退のタイミングが、命運を左右する
🍀怠けることが好きな人と、努力が苦痛でない人
努力しないではいられないタイプが、結構いる気がすると
🍀15世紀の宗教家・蓮如は、学者や評論家には評判がわるい
蓮如の言葉
「人は軽きがよき」
「しゃべれ、しゃべれ」
「しゃべらぬ者は、おそろしき」
だから
若い人はともかく、老人はおとなしくしているほうが、評判が良いが、老人は軽くあれと
長く生きるということは、一つの重圧でもあり、経済と体力と両方の面でさまざまな困難と向き合うが、できれば沈鬱に老いることは避けたい
♪これも老い ♪あれも老い
♪たぶん老い ♪きっと老い
(作者は、愛の水中花の作詞家)
🍀世の中は
すべてが嘘、というのも嘘
真実は常に勝つ、というのも嘘
人生に二者択一はあっても、人生論に二者択一はない すっきり言い切る説(本)には用心すること
🍀何を食べるかより、どう食べるか
ある程度、胃を働かせるは大切
週に5日はよくかんで食べるが、2日はあまり噛まずにのみこむことで、胃をめざませている
🍀喉に食べ物がつまったら、絶対のみこまず、周囲を気にせず、吐き出す
吐き出せば、喉がつまって亡くなることはない
🍀ある年齢を過ぎると、周波数の高い音は聴き取りにくくなる
モスキート音はそうで、気づかす蚊に刺される
🍀講演について
吉行淳之介さんに
長野・諏訪に講演に行くと話したら、長野は平林たい子や岩波茂雄が出たところだから、質問の手が林のようにあがるぞ と
小林秀雄さん
淡々と洒脱な講演だが、会場の雰囲気も淡々で、熱狂的でなかった
ドストエフスキー
講演好きで、いかに会場が熱狂的になったかの自慢?を書いた手紙が残っている
今、熱狂の季節(戦争など?)が過ぎさったつもりでいても、私たちはいつ逆戻りするか、ふたたび酔いたいという気分は、危ういと感じる
🍀駆け出しのころ、井伏鱒二さんに「僕という言葉は、目上に使わないほうがよい」と
しかし、辞書には「僕」は、もともと謙虚・へりくだりと 「下僕」もあるが
語感は、時代により変わる
広辞苑は成人前の男性が、同等以下の相手に使う表現になっている
純文学の大家、学者は「僕派」
大衆作家、芸人さんは「私派」
猫派と犬派みたいなもの
🍀文壇の方言三羽鳥は、寺山修司、立松和平、五木寛之
🍀学生時代「青い山脈」の映画をみて、すぐテニス部入ったが、軟式庭球で裸足で猿のようにコートをかけまわった
福岡大会予選で一回戦で負けて、中洲でうどんを食べて帰ってきた
🍀親鸞は、浄土往生に憧れるが、娑婆の未練は断ち難いと
死後の観念が世間に広がるこの時代、凶作、飢餓、内乱、疫病が
生きて地獄、死んて地獄は避けたい
念仏を唱えれば、全ての悪人は救われると親鸞
親鸞は90歳、法然は80歳、蓮如は85歳は壮観だ
念仏系の人が長生きした
逝き方を考える
🍀絆の言葉が人気
絆、辞書では牛馬などが逃げないように、つなぎとめる綱のこと
🍀青年ブッタは、家を捨て、絆を自ら断つことで、新しい人生を求めた
小さな袋を背負い弊衣をまとい、真理の智慧を求め歌いつつ放浪
80歳でガンジス川に沿って旅を続けながら、食中毒で雑木林で生涯を終えた
人は孤独に死んでも不自然でないのては?
🍀心なきもの、それは医師
若い頃は、頭痛に悩まされた
最近は、頭痛がないと思ったら、医師から、老化で血管が硬くなったからと
🍀一方転倒、誤嚥や、ちょっとしたことで失われる命
はかなくも、しぶとくもある命
高齢者は、身体と向き合うことが、大切なんですね
🍎 🍊 🍌 🍇 🍉 🍑 🍓
お読み頂きありがとうございます😊
素敵な一日をお過ごし下さい(^^)
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