goodday20221010のブログ

読書日記、たまに暮しを綴ります

読了(箱根駅伝「今昔物語」)日本テレビ編

★箱根駅伝「今昔物語」


毎年箱根駅伝、おせち・🍶ながら、観戦します☺



100年をつなぐ言葉のたすき



テレビ箱根駅伝中継「今昔物語」が、作られるようになったのは


山間部、当時の中継技術では電波が届かず、レース映像が途切れてしまい


その穴埋めに、過去のエピソードを紹介するから始まった と



(残った言葉 一部)

🍀箱根駅伝、戦争により、昭和18年、軍部に認めてもらう為

戦勝祈願に名を借りて復活


参加選手は、靖国神社に日本の戦勝を祈願、ゴールを箱根神社にした



🍀昭和22年、箱根駅伝は復活、選手は、家から米を持って参加



🍀昭和39年、国士舘大学の村上選手、走っている途中、靴を脱ぎ、裸足で走る 靴が重かったから



🍀有森裕子・高橋尚子を育てた小出監督は、家計が厳しく、大学進学を諦め、農家を継いだが家出をして、学費を貯め、順天堂大学に



🍀監督達 魔法の言葉

・駒澤大学の大八木監督

「男だろ」


・東洋大学の酒井監督

「その一秒をけずりだせ」


・青山学院大学の原監督

「Perfumeのリズムで行くぞ」


・順天堂大学の澤木監督

「陸上を科学する」


・大東文化大学の青葉監督

「山を制するものは箱根を制す」


・山梨学院大学の上田監督

「疾風に勁草を知る=困難に直面した時に、その人の真価がわかる」



🍀ラジオ時代の名実況 

NHKの北出清五郎


相撲中継も人気あったが、箱根駅伝の実況も、喋る必要のない時、ウィスキー飲みながらやっていたと



🍀昭和62年「箱根を上回るドラマはありません」 と、日本テレビによる箱根駅伝生中継が始まる

 


🍀神奈川県警の白バイ隊員

「箱根山が霧のとき、前がみえないので、監督が白バイについていけと」



🍀箱根恵明学園の寮母さん

「戦災孤児が多かったので、道路沿いで選手を応援すれば、その姿を見て、生き別れた家族から連絡がくるかもしれない」



🍀駅伝に力を注いだ金栗四三

「マラソンだけは勝てる 他の競技は、体の問題あるが」



🍀「山の神」は河村アナが使ったが 言葉だけが独り歩きした


実は日体大の北村選手が始まりだ



🍀山の神 初代から三代


・初代 順天堂大学今井正人

「人の嫌がるところまで勝負してやる」

「山を上る時、自分の足音を静かな函嶺洞門でリズムを確認」


・二代 東洋大学柏原竜二


・三代 青山学院大学神野大地



体調不良でたすきを渡せなかった選手のインタビューが多めでした


でも、そのおかげで、その後の人生に良い影響があったと、、


若いうちの失敗、金のわらじ?



🍎 🍊 🍇 🍉 🍐 🍓



お読み頂きありがとうございます

良いお年をお迎え下さい😊