読了(あい)高田郁
★あい 高田郁
関寛斎は、徳冨蘆花や司馬遼太郎などに書かれた実在の人物
寛斎の妻が、あいです
著者は、寛斎の資料をもとに、あいの物語を構築
さまざまな場面で、あいの心情がきめ細かく優しく書かれています
あいは、寛斎と親戚筋にあたり、機織り名人で、若く貧しいころ、生活を助けました
寛斎は、苦労の末、医師になります 戊辰戦争で多くの命を救い出世を期待されたが、目もくれず、患者の為に邁進します
そんな寛斎、あいが、一番の理解者となり寄り添います また子沢山ですが、病気などで4人亡くします
寛斎は、1830年(文政13年)、上総国に生まれ
佐倉の佐藤泰然門下に、医学を修業
銚子で開業後、ヤマサ醤油の浜口梧陵の勧めにより、長崎のポンペのもとで西洋医学を修得
この浜口梧陵も、商売だけでなく、国のため、若い優秀な人材を援助しています
その後、徳島藩より招かれて侍医となりますが、戊辰戦争後、徳島医学校の創設
一時海軍病院に努め、山梨県立病院梅毒の研究に業績を残します
徳島県に帰ってからは、禄籍奉還 近くで開業、地域医療につくしました
寛斎夫妻は、金婚後、札幌農学校の学生であった四男・又一に共鳴します
北海道の開拓を志し、72歳で厳寒の地、北海道陸別町・斗満(とまむ)での開拓事業に乗り出します
また、アイヌの人たちとも平等に暮らす理想郷作りを目指しました
北海道に渡り3年であいは病没
その後、家族との対立などがあり、寛斎は、82歳で服毒自殺します(著書には触れていません)
現在、寛斎を開拓の祖と仰ぐ陸別町で資料館があります
あいの死後、遺言により、陸別町の小高い丘に寛斎と一緒に眠ってします
お読み頂きありがとうございます
素敵な一日をお過ごし下さい(^^)
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