読了(箱根駅伝「今昔物語」)日本テレビ編
★箱根駅伝「今昔物語」
毎年箱根駅伝、おせち・🍶ながら、観戦します☺
100年をつなぐ言葉のたすき
テレビ箱根駅伝中継「今昔物語」が、作られるようになったのは
山間部、当時の中継技術では電波が届かず、レース映像が途切れてしまい
その穴埋めに、過去のエピソードを紹介するから始まった と
(残った言葉 一部)
🍀箱根駅伝、戦争により、昭和18年、軍部に認めてもらう為
戦勝祈願に名を借りて復活
参加選手は、靖国神社に日本の戦勝を祈願、ゴールを箱根神社にした
🍀昭和22年、箱根駅伝は復活、選手は、家から米を持って参加
🍀昭和39年、国士舘大学の村上選手、走っている途中、靴を脱ぎ、裸足で走る 靴が重かったから
🍀有森裕子・高橋尚子を育てた小出監督は、家計が厳しく、大学進学を諦め、農家を継いだが家出をして、学費を貯め、順天堂大学に
🍀監督達 魔法の言葉
・駒澤大学の大八木監督
「男だろ」
・東洋大学の酒井監督
「その一秒をけずりだせ」
・青山学院大学の原監督
「Perfumeのリズムで行くぞ」
・順天堂大学の澤木監督
「陸上を科学する」
・大東文化大学の青葉監督
「山を制するものは箱根を制す」
・山梨学院大学の上田監督
「疾風に勁草を知る=困難に直面した時に、その人の真価がわかる」
🍀ラジオ時代の名実況
NHKの北出清五郎
相撲中継も人気あったが、箱根駅伝の実況も、喋る必要のない時、ウィスキー飲みながらやっていたと
🍀昭和62年「箱根を上回るドラマはありません」 と、日本テレビによる箱根駅伝生中継が始まる
🍀神奈川県警の白バイ隊員
「箱根山が霧のとき、前がみえないので、監督が白バイについていけと」
🍀箱根恵明学園の寮母さん
「戦災孤児が多かったので、道路沿いで選手を応援すれば、その姿を見て、生き別れた家族から連絡がくるかもしれない」
🍀駅伝に力を注いだ金栗四三
「マラソンだけは勝てる 他の競技は、体の問題あるが」
🍀「山の神」は河村アナが使ったが 言葉だけが独り歩きした
実は日体大の北村選手が始まりだ
🍀山の神 初代から三代
・初代 順天堂大学今井正人
「人の嫌がるところまで勝負してやる」
「山を上る時、自分の足音を静かな函嶺洞門でリズムを確認」
・二代 東洋大学柏原竜二
・三代 青山学院大学神野大地
体調不良でたすきを渡せなかった選手のインタビューが多めでした
でも、そのおかげで、その後の人生に良い影響があったと、、
若いうちの失敗、金のわらじ?
🍎 🍊 🍇 🍉 🍐 🍓
お読み頂きありがとうございます
良いお年をお迎え下さい😊
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