goodday20221010のブログ

読書日記、たまに暮しを綴ります

読了(日本史の内幕)磯田道史

60代からのさじ加減ブログ

★日本史の内幕


古文書の達人、磯田さん



🍀1868年4月から12月までの古文書

旧幕府の勘定奉行「小栗上野介」は、幕府再興のための軍資金(油壺に)を埋めたと



🍀「日本史上最強のパワースポットがある」浜松東照宮 


秀吉と家康だ

ホンダ創業者の本田宗一郎氏も住んでいた



🍀家康は、三方ヶ原の戦い(1572年)、信玄に大敗


浜松城に逃げ込めたのは、忠義の三河武士が盾になって護ったせいもあるが、それだけではない


通説

武田軍は2~3万

家康軍は8千

織田の援軍が3千


この織田援軍の数はどうも過小な数字らしい


「前橋酒井家旧蔵聞書」では、織田の援軍は2万としているとか


「神君」家康が大敗した合戦であるため、徳川の世になると、家康が十分な援軍を受けながら信玄に負けた事実が、隠蔽されたのかもしれないと



🍀香の聞きあて競べ

20年以上香道をやっている人々を押しのけて一番になったのは、堺雅人さん、初めて香を聞いたというが、一芸の達人はすごい



🍀上方の富くじは太っ腹→現代は控除率55%、江戸時代は控除率10%



🍀 おそらく将来、江戸時代は日本の栄えた時期として、憧憬の念をもって、回顧されるであろう



🍀豊臣秀頼の父親は秀吉ではない可能性が高い


🍀武士が入るトイレの屋根は高い(槍があるため)



🍀穀田屋十三郎「殿、利息でござる!」


穀田屋は、仙台藩の重税にあえぐ宿場民のために、現在価値3億円の基金を仲間9人から集め、藩に貸し


年3000万円の利息を取って、30万円ずつ100軒の家に配り、宿場を衰退から救う


穀田屋たちは「慎み」の約束を結び、自分達は子々孫々の代まで上座に座らない、


やったことを自慢しない、道の端っこを歩くように暮らすというもの


だから、子孫として名乗らなかったのは、ご先祖の教え 


この話はに感動した作者は、不思議な連鎖で映画化になったという



🍀昭和天皇の教育は、乃木・鈴木貫太郎・桑野(豊臣西軍の流れ)が担当 



昭和天皇は、桑野の戦争観に影響された?


小早川=ソ連が襲ってくれば、西軍=日本は負けると



🍀家康が、真田信繁の首にかけられた記録


「君はたびたび敵対されたが、このように不慮なことでご対面となられましたな」丁重に扱う



🍀水戸藩は、かつて信長や家康に敵対した武将の子孫を、山ほど召し抱えた



🍀浜松市は家康くんと同級生扱い、静岡市は家康公と畏敬の念 浜松にいたのは若いころだから



🍀築山殿(今川側)は、当初は駿河の御前だったが、家康との関係が悪化し呼ばれたとの記録



🍀蝦夷地を測量中の1811年に捕まって日本に抑留されたロシア海軍士官ゴローニンは、


牢番の足軽が、茶碗をひっくり返し地球儀にみたて、「おまえは今ここにいる」とサンクトペテルブルクと箱館の位置説明した記録



🍀江戸時代は、さまざまな本が職蟻知識や礼儀作法や健康知識などのインフラを築いた 


中国や朝鮮は、一定の知識階級に留まって閉鎖的



🍀昭和初期、まぶたの整形費用は、現代も当時も変わらない記録



🍀直虎と秀吉や、直虎という名前の少年当主だった



🍀甲賀忍者の子孫が私のところにやってきた 徳川家子孫と顔合わせした



🍀西郷の上から目線の記録



🍀山田方谷は、幕末儒学者、農民出身、備中松山藩の藩政改革


至言「物事をかき分けてみなさい 今は雑草でも、中には真っ直ぐな道がみつかるもの」



🍀中根東里(儒学者)の逸話に、感動した司馬遼太郎の記録



🍀富士山の噴火の影響で、足腰を温めたり、温泉卵なる富士山卵があったという記録



🍀400年前にも同じような地震

1611年慶長三陸地震

1619年肥後熊本地震


2013年東日本大震災

2016年に熊本地震



🍀中央構造線の地震は、連動連発しやすい


1596年には、わずか5日の間に伊予(愛媛)豊後(大分)伏見(京都)が地震


1625年には、広島愛媛熊本が地震



🍀熊本城の石垣の崩れにくくさせる 

関西大学の西形先生が提案しておられたのを、作者が千田先生→細川護煕氏→熊本知事に伝える



🍎 🍊 🍌 🍇 🍉 🍑 🍓


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