読了(禅の思想)鈴木大拙
★禅の思想

大拙は偉大なる禅学者・思想家だが、幼少期は恵まれず学業に励めず、世の不公平を知ったという
そんな現実世界の矛盾や不公平を突き破りたいことから、禅の道に
現実世界は分別の世界に他ならない 分別の世界は苦しみがつきまとうことを知り、坐禅を通して「無分別」を体得
大拙は、体得以外に、禅思想を読み解こうとし、禅思想に普遍性を持たせた
戦後日本は、焦土からの復興にあたり、経済優先の方向に傾いた 東洋の無分別より、西洋の思想に憧れた
大拙は西洋人に東洋の思想を知らせたいと努力
西洋人が禅に興味・関心を持つことで、西洋人に感化された禅を日本人も見直すことを努めたのではとされている
経済の発展もある程度収まり、東洋の思想「無分別の分別」が令和の時代は学び直す時と、解説にありました
禅はインドの達磨大師から中国の臨済禅師を経て、鎌倉~室町時代に日本に伝えられた仏教
禅の流れをくむ宗派には臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などがある
「すべての人間は生まれた瞬間には何も持っていませんが、年齢を重ねるにつれて様々な知識や良識、道徳観、価値観などを身につけていく」
鎌倉時代初めに栄西禅師が臨済宗を、道元禅師が曹洞宗をそれぞれ伝え、江戸時代には隠元禅師が黄檗宗を伝えた
現在の日本の臨済宗を確立したのは、江戸時代の白隠慧鶴禅師
内容は
第一篇 禅的思想
第二編 禅行為
第三篇 禅問答
禅思想には無知の知(無分別の分別)
禅行為には無効用の行為(無作の作)
禅問答には無分別の分別、無作の作の問答
大拙は円覚寺で坐禅 臨済禅の修行 ここでは達磨や道元の作で、大拙は無分別の分別を表すことに注力し、いろいろな文献を紹介しています
分別の心は、苦しみを生みだすので、無分別の心に触れないと安心は得られない
大拙にとって、安心は智慧の眼=無分別の分別 また分別を通して無分別を示そうとし、その営みが禅行為であり、禅問答だと(相互作用?)
自分自身の存在の真実を探すこと そのために禅僧は修行をするのですが、禅は普段の暮らしの中でも実践できます
禅の基本は、マイナスのものをプラスに転じて考えるだから、、、
お読み頂きありがとうございます
素敵な一日をお過ごしください
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