goodday20221010のブログ

読書日記、たまに暮しを綴ります

読了(春になったら苺を摘みに)梨木香歩

★春になったら苺を摘みに


イギリス留学時代、ウェスト夫人と彼女をめぐる人々との交友記



米国生まれのウェスト夫人は、クウェーカー教徒(従来の教会組織でなく、個人がダイレクトに神を感じるべき、日曜日に集まるが、牧師の説教はなく、個人的瞑想)



夫人宅、その下宿に出入りする国籍や人種をこえた多様な人々との出会いが、これでもかと出てきます



作者の鋭く、繊細な感受性や思考、深い洞察が染みます



●ウェスト夫人の父は、戦時中、銃を持つことを拒否、獄中に、軍事法廷でクウェーカー教徒が証言し釈放された 懲役の代わり、難民のための小屋を造る仕事や黒人のレストラン経営



●ウェスト夫人の仲間、アムネスティ、反核運動、募金活動、無償の活動にエネルギーを惜しまない



●反核デモ、ハイドパークに集結、核爆発で死屍累々の光景をデモンストレーションするため、約二万人で数分間横たわる 作者は、不思議な静寂を体験



●ウェスト夫人の別れた夫のナニーだったドリスという女性は、読み書きはできなかったが、88歳で死ぬまで、同家に奉公



●家事のエキスパート・忠義者と、ストイックな修道僧の違いは? 


日常を内省的に生きる、理想的なクウェーカーの暮らしが、無駄なものを削ぎ落とす内なる神とのコンタクトのみ焦点を与える生活へとつなげることは可能か? 

そもそも日常を深く生き抜くは、どこまで可能か?



●覚悟を決める瞬間は、自らの内側に、自力で重いドアを押して向う側に身をさらす清冽なもの=身体感覚



●17世紀修道会を設立したマルグラット・プールジョワに、高度な精神文化を持つ先住民の土地に、キリスト教十字架を打ち立てる発言にみられる厚かましさと無神経さを、今日の目で批判 


推進力と、自分に絶えず冷静に負荷を与える、という相反する二つを調和・内在させるのは、コツさえ見いだせば可能だ



●カルフォルニア生まれの日本人が、第二次世界大戦中、米日両国で異邦人として生きるを強いられた話



●耳の聞こえない家族と育ったジョーの、傷つく権利とは何か



●イスラエルからカナダに移住した夫婦と息子(息子の難病に、イスラエルを去る時がきたと)



●日本にいてもなかなか故郷を見いだせない作者


日本語も時に心地よくないと(日本語を命のように大事と思いながら、他の言語を相対化する姿勢である)



●驚きの思考、習慣を持つ人達がいる事を知る(ここではナイジェリアとコソボ出身者、人類は誠に複雑)



●クリスマスの醍醐味は気配にある

新しい家は人になじんでいないから気配が粗野だ



●印象のはモンゴメリのナショナリズム(人種的偏見)



ウェスト夫人の「理解はできないが、受け容れる」生き方は難しい



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